4.24.2017

Wien


いまだに、というべきか、CDで音楽を聴いていたりする。もちろん、iPodで聴くこともある。CD~iPod(クラシックなやつ)くらいが、僕が、若いころ使っていたメディアなのである。

今は、どうなのだろう?たぶん若い人は、月に定額を払って、聴き放題なのだろうな。

でも僕は、CDで音楽を所有するのが、好きだ。その理由はたぶん、僕がその形式に慣れ親しんでいるからにすぎないのだろう。

慣れ親しんでいるものに安住するのも、悪くないと思う。何度も書くけれど、僕にとって、音楽も文学も、もう十分な量と質があって、格別、そこから出ようとは思わない。

というかむしろ、きっと僕は「そこに行けば、常に同じものがあるもの」を持ちたいのだろう。

4.23.2017

Strasburg


この一年間、結構、仕事で悩んでいる。悩んでいる・・・が、結局のところ、僕は「鬱」にはならない気がする。いや、わからないが、そういう気がするだけだ。

最近は、文房具に愛着をもって暮らしている。仕事の道具にと、ロイヒトトゥルムを買ったことは書いた。あれから、さらに、ラミーのローラーボール(サファリ)を加えた。着々と増えているが、もう、ペンは必要ない気がする。

4.17.2017

Strasburg



先日、フランスのストラスブールに家族で旅行した。安いレンタカーを借りて、ドイツからアルザスまでドライブしたのだ。

ヨーロッパにはイースターという休日がある。復活際、というもので、キリストが死に、そして復活するまでの日が、休みなのである。

ストラスブールには初めて行ったのだが、そのあまりの美しさに愕然とした。

プティット・フランスという地域がある。イル川という川に囲まれていて、ちょうど島のようになっている。この島の周りを巡る遊覧船があり、これに乗った。生憎の曇天だったけれども、僕はこれほど美しい景色を見たことがない、という景色をみた。

ヨーロッパには、呆然とさせられる。

Strasbourg

4.02.2017

Keiserwerth


今日、ドイツの蚤の市を見てきた。

目当ては、クラシックカメラと、文房具だった。文房具は、残念ながらよいものが見つからなかったが、衝動的にカメラを3つ、双眼鏡を1つ、併せて4つも買ってしまった。

ツァイスのコンテッサというカメラと、あと二つ、よくわからないが(たぶん)ドイツ製のカメラである。さらに、かなりアンティークな双眼鏡1つである。双眼鏡というべきか、オペラグラスというべきか。全部で50ユーロだった。お買い得だったと思うが、まとめて買うよりは、一個ずつ一個ずつ揃えていったほうが、楽しかったかもしれない。

ともあれ、別に実用目的で買ったわけではなく、ほとんど鑑賞用に買ったものである。

買ってから意外にも、「双眼鏡の楽しさ」というものを知った。説明しがたいが、単に双眼鏡を覗いて、遠くの物を眺める、ただこれだけの行為が楽しいのである。そしてもちろん、「ピント合わせ」もできるわけであるが、これも思いのほか楽しい。

この双眼鏡には「F. MOLLENKOPF」と銘打ってある。どうやら、シュツットガルトにあった会社のようだ。いつ作られたのかわからないが、50年前くらいだろうか?実用的にはまったく問題ない。

旅行に持っていこうと思っている。もしかすると、カメラをぶら下げてあるくより、愉しいかもしれない。

3.29.2017

Vienna


村上春樹の最新作『騎士団長殺し』がドイツの日本書店でも売られていた。しかしその価格を見て驚愕した。30ユーロ(約3,600円)である。うーむ。さすがに上巻だけで3,600円はないな・・・と思った。日本に帰ってから読もう。

しかし、ちらりと見ただけだけど、その「分厚さ」にほれぼれとした。この分厚さの村上春樹を読む快楽は、他に代え難いだろう。

話は変わるが、英語の勉強のために『シャーロック・ホームズ』を読んでいる。

そして『ホームズ』を読むことは、最近の僕の生活における、確かな快楽の一つである。

英語ではあるものの、というか英語の原文だからこそ、たしかにコナン・ドイルの文章が優れていることがわかる。簡潔で要を得ていて、かつ含蓄がある。文章とはこう書くものだ、と教えられている気がする。長すぎず、短すぎない。これ以上削ることも足すことも不可能な文章である。

そういう「完全なもの」がこの世にはある。モーツァルトの楽譜のようなものだ。

コナン・ドイルや村上を読むことは、人生における確かな愉悦の一つだ。まさに文芸、文章による芸術だ。

Brussels